2018年05月04日

ミート・ザ・フジタタイセイ

フジタタイセイとの出会いは、あれはたしか最初だか2回目だかの『ホテル・ミラクル』。われわれアガリスクも根城にしているシアター・ミラクルで行われている企画公演シリーズで、何人かの作家が短編作品を持ち寄る競作イベントだ。毎度深夜開演の"レイト・ショウ"ステージがあるのも特徴で、その試みに興味があったのでとくに目当ての作家も俳優もなく(基本ないけど)なんとなく劇場に足を運んだ。当然、終演後もう終電はないわけで、端から劇場で朝を迎えることを覚悟していった。

終わってみればそのうちの2本くらいが嫌いで腹を立ててしまったりなんだりで、ノンアルコールのくせにグダグダクダを巻いていたら朝。始発も動き出し、帰り際ロビーのあたりで、それまで話したことのないフジタ氏とここで顔を合わせる。

そこで、これについては未だに反省仕切っているのだが、おれは眠すぎたのか深夜のテンションを引きずっていたのか初対面の人間にあらぬ質問を唐突に投げる。


「あなたはセックスに希望を持っていないよね?」


誤解を招く前に、いや誤解でもなんでもないのだが補足が必要だろう。

『ホテル・ミラクル』という公演がラブホテルを舞台にした短編集であり、よって性的な表現やテーマの作品が多かったこと。

フジタ作品が「行きずりの男女がホテルで肉体的交渉を一切行わず、しりとりでコミュニケーションを続ける」という作品だったこと。

その仕掛けや意図を面白いと感じたが、客席の反応はイマイチだったこと。またその意志が見えにくい作品でもあったこと。

先述した"嫌いな作品"が逆に安易で薄っぺらい意図(要するに下ネタ)で塗り固められていて、それが変にウケていて、「それは違うだろう!」と強く思っていたこと。

だからそう言った諸々を加味しての発言なのだが、加味した上でもやはり弁解の余地がない気持の悪さである。しかし、そんな考えうる限りのワースト・コンタクトにも関わらず、怯んだ様子も見せずにフジタタイセイは少し考えてから、


「そうかも知れませんね」


そのようなことを答えた。その後いくつか作品について話したが(おれの結論としてはあれは今回の短編集でもっとも変態的である、なぜならしりとりとは『アナルセックス』である、そこに言語的コミュニケーションだけで到達しようとしている、というものだったと記憶している。まったくどうかしている。)訥々と話すその様子はおれにはとても誠実に思えたのだった。その姿はTwitterで荒れ狂う姿とはまた違うようでどこか似通っていて、それも面白かった。


その縁でなのかはわからないが、今回肋骨蜜柑同好会の公演に参加することになった。「あのとき変な絡み方してごめんなさい」という気持がないわけではないが、それとこれとは話が別だ。基本"出不精俳優"だしコメディ以外にそんなに食指も動かないが、フジタタイセイという作家に興味があって、その作家が声をかけてくれた。そこで動かないなら、それは嘘だろう。そしてプロデュースはしむじゃっく。アガリスクに『わが家の最終的解決』を作らせた敏腕かつ小劇場での"興行的全面バックアップ"という狂気の沙汰を行う特攻野郎。まあ乗らない理由はないかな、と。

おれができることと言えば屁理屈くらいだが、どこでだって"アガリスクエンターテイメントの淺越岳人"を投影させる準備はできてるつもり、だ。


しむじゃっくPresents劇団肋骨蜜柑同好会『草苅事件』

7/217/29@高田馬場ラビネスト


現時点の詳細http://symjack.web.fc2.com/presents.html









posted by 淺越岳人 at 18:25| Comment(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

『卒業式、実行』反省と課題

『卒業式、実行』も無事終演しました。
有形無形のご支援、ありがとうございました。

型通りの挨拶だけじゃ面白くないので、いくつか雑感を。

自分のパフォーマンスについては、実は反省点が大きい。
たしかに結構、というか今までもなかなかないレベルでハマったネタだったと思う。少なくないステージ数だったがほぼ外してないし。
が、こんなにも「なんでウケているか」を理解していないネタはなかった。そして結局、最後のステージまでわからないままだった。
これは、大きな反省点だ。結果としてウケたからいいというものでは、ない。
おれは元来が"オモシロ人間"ではない。だからトレースと解釈で、頭で考えてネタをやってきた。ファーストチョイスで正解が叩き出せるわけでもないし、引き出しが多いわけでもない。器用さも当然ない。他から盗んで、分解して咀嚼して、今がある。自分に自信があるとすれば、そういう分解能くらいだ。
今回のネタは別に組み立てられた大きなネタじゃないし、わかりやすくボケているわけでもない。だから間合いとか流れの美しさとかで獲る小ネタだと思っていたし、本番にもシーンとシーンのブリッジくらいのつもりで臨んだ。
あ、断っておくが小ネタとかブリッジというのはネタの種類や役割の話で、扱いに不満があるとか場面を軽んじているのではない。念のため。むしろ、こういうシーンでしっかり笑いを獲っていないと作品全体がうまく回らなくなる。こういうシーンで手を抜く俳優は、端的に言ってクソである。
で、蓋を開ければとてもとてもウケた。正直びっくりした。「大したネタじゃねえじゃん」、本音を言えばそれだ。うれしいけど。とてもとてもうれしかったけど。
でも、なぜウケているのかがわからない。
ルックスとセリフのギャップ?キャラクター性のエグさ?あるあるネタ?今までの"淺越岳人"としての積み重ね?どれもありそうで、でも違う気がする。
わからない。わからないゆえ、毎ステージどこかに不安がある。正解が見えない。良い芝居の塩梅がわからないから、どこか探ってしまったり、前のステージをなぞってしまったり。
理解できない、とは、再現性がない、ということだ。
だから、今回の作品においては、自分のプレイイングには反省が多い。ウケてはいたけど、いやウケていたからこそなんだろう。
プレイヤーとして、ネタを超えられなかったというか。ネタを理解できずに制御しきれなかった、というか。
要するに、居心地が悪いのだ。単にウケなかったのなら怒りを込めて振り返ればいいのだが、なまじウケているしネタとしての評判もいいから、問題の所在がはっきりしないのだ。
プラスに考えれば今まで使ってない弾でウケを獲れたのだから、理解して持ち物にさえすれば武器が増えるのだが、生憎その取っ掛かりがないし、そもそもプラス思考など持ち合わせていない。

とりあえず、今、少しだけ悩んでいる。

劇団で、とか言うと話が大きくなっちゃうし、次の動きも見えないし、反省点ばかり書いても仕方がないし。
とにかくスラップスティック系のネタができるようになっていた、というのが一番の発見かな、と思う。一部完全なるサイレントのネタもあるし。
こういうマテリアルなネタ(モノの移動、アクション等)をやっては物理的制約となにより芝居のスキルによって失敗し、それらを棄ててたどり着いたアガリスクの一つの境地が「屁理屈」と「会議」なわけで、それが今回やれた、しかも訓練の成果とかでなく自然とネタとして組めたのは、大きな収穫だし、今後へ繋がるはずだ。

繋がるはずだ。というか、繋げなければウソだ。

とまあ色々と模索中ですが、いずれまた。
posted by 淺越岳人 at 22:13| Comment(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

志望動機と先行販売

恥ずかしい話なので確かどこにも書いていなかったと思うけど、実はおれが国府台高校を受験した理由は、いわゆる「日の丸・君が代問題」なのだ。


中学生の時分、おれも酷い反抗期だった。ただその反抗の先は親とか教師ではなく、「強権的なシステム」だったからタチが悪い。


"総合的な学習の時間"を「生徒主導」で「自主的」に行うと言っていたのに、テーマは教員が勝手に決めるわクラス代表は成績のいい奴が"立候補"するように事前に根回ししているわ(これをなぜおれが知っているかというと成績が良かったからだ)、およそ民主的でなかったので、学年末の振り返りレポートにその旨を全部スッパ抜いて書いたり。

2年から3年次のクラスは本来持ち上がりという話だったが、それをなんと終業式1週間前に「クラス替えします」と発表されたので、有志を集めて保護者会に乗り込んだり、校長室に直談判しに行ったり。


そしてなにより恥ずかしいのは、今思い返すとそれらの"不条理"そのものに、あまり怒りがなかったことだ。「不条理や横暴に対する怒り」でなく、「そういうのに怒って行動できるオレ」だったわけだ。格好悪いったらありゃしない。


まあちょうど当時つかこうへいの『飛龍伝』だったり沢木耕太郎の『テロルの決算』だったり、あとパンクロック聴き出したりして、何かあれば(左右関係なく)「革命!」と叫びたい時期だったのだろう。ビートルズの『Revolution』、歌詞の意味もわからず聴いてて、和訳してみたら一変嫌いになったのも中3のときだ(今は大好きさ)。


「受験」とか「進学」とか、そういうのもやっぱり「システム」としか思えなくて、志望校とかも全然考えていなかった。それでも勉強は結構好きだったから、あまりその辺困らなくて、余計に後回しにしていた。父親からは、「サラリーマンと公務員以外なら何やっても文句は言わないから」と教えられていたし。


なにせ、「これからのライフプラン」みたいな発表で「27歳で死ぬ」て書いてたからね。大真面目に。


そんな小型狂犬・アサコシ少年に救いの手を差し伸べたのが当時の担任M先生。一向に進路を決めようとしないおれに、こんな高校あるぞ、とある新聞記事を見せてくれた。


それが、国府台高校の「日の丸・君が代問題」の記事だった。


M先生には今でも感謝している。第1、さっきの「ライフプラン」とか、書き直しを命じるわけでもなくそのまま掲示してくれたからね。多分クラス替えのメンドくせえ経緯とかも知った上で、「メンドくせえヤツ」としてのおれを尊重してくれた、そんな数少ない大人だったんだ。


当然大好物に食いついたおれは、サクッと進路を決定。上手く教員に丸め込まれた気がしないでもないが、そのまま楽々合格。

そうして晴れて、"鴻陵生"の仲間入りを果たしたわけである。


実は入学後、「"運動"とか"政治"じゃ世界は変わらないよ」「革命家はその後世捨て人になる」というニヒリズム・ダダイズム期に突入して、いわゆる「The 鴻陵生」とは距離を置く学生時代を送るのだが、、、それはまた、別の話。


別の話もなにも、そもそもなんの話だ。

そんなことを思い出しながら、しかし思い入れとかじゃ語れない強固なコメディにしたいね、いやするんだよ。


特典付き先行販売、いよいよ明日11/25、10:00からです。


アガリスクエンターテイメント第25回公演『卒業式、実行』

2018217日(土)〜225日(日)

於サンモール・スタジオ

公演情報 http://sotsujitsu.agarisk.com/

予約 https://ticket.corich.jp/apply/87017/012/


どうしたって筆が滑るから、母校だ。


posted by 淺越岳人 at 23:31| Comment(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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